teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助
    
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


仏教で「孤独」ということ

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年 2月16日(木)15時15分5秒
  ある日娘から真顔で涙を流して,詰問されたことがあった。

 「孤独だなんて・・・! お父さん! 私たち子どもが側に居るじゃないですか?!」と・・・。

 私は、言った。「子どもが三人居るが子どもは皆違う。」「私たち兄弟も三人居るが性質は皆違う。」

 「『孤』・『独』・・・と言うことなんだよ。」・・・・と。

 その時、その場に妻も居た。二人とも、理解しようと努力しようとしていた。孤独の意味は以下の如くだ。

     *******************
  「教行信証大綱」 曽我量深より

  如来を信ずることによって、はじめて本当に孤独に徹していくというのが機の深信の意味である。だから、

如来の本願を信ずるということは本当に孤独に徹していく。そのことによって、われらは現生に正定聚・不退

転の位に住することができるのであります。

  われわれは、人間は孤独なものということにおそれを懐くおそれを懐いて、孤独ということに触れないよう

に、ぼかしをつけていこうとしておる。しかし、ぼかしをつけることもできない。できないけれども、どこま

でもごまかしていこうと人間はいろいろ努めておるのであります。そういうことが無効であるということを人

間は本当にわかっていない。けれども、乗彼願力(衆生済度の願の力)ができることによって、我々は自分自

身を本当に知り、孤独に徹して何ものにも頼らない。孤独に徹するということは、本当の意味の自主独立とい

うことでありましょう。それは自己の主体性をまっとうするのであります。絶対の如来によることによって、

自己の本当の主体性を全うしていく。それが機の深信の意味であります。そういう意味において機の深信は尊

いものでありましょう。孤独に徹して本当の意味の自由が全うされているから、如来の本願を信ずる心が本当

に堅固にして破れざるものである。いわゆる「金剛心」と名づけられる所以でありましょう。

  われわれは感謝を表するときに「ありがたい」と申しますが、それは単なる感謝ではありません。ありがた

いというのは本当の懺悔でありましょう。本当の懺悔が転じて感謝になる。純粋な感謝でしょう。人間が単に

幸福だとか自分がただ幸福だとか、そういうので感謝するというのではありません。幸福だから感謝するので

は無くて、本当に感謝できるから幸福なのです。ありがたいということは、わが境界ではないということで

す。         「教行信証大綱」 曽我量深より

 
 
 

十人十色 哉

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年 2月 8日(水)07時31分21秒
  ※消えてしまったホームページデータを復活させています。
 それで発見したことがあります。
 実に当たり前のことなんですが・・・。
 ヒトは他の動物と違ってきわめて多様性があります。
 カエルも昆虫も品種が同じなら殆ど同じです。雨蛙は雨蛙。
 どれを見ても同じ反応・行動をします。
 人は「百人十色」です。思うことも、悦びも違います。
 ・・が、この作業をしながら、しみじみと感じました。
    **************
 10年の間に、私の思ひは実に変わったと言うことです。
 過去に、ホームページを立ち上げるに当たって、必死になってその構成を企画して、蓄えていましたデータを入力したのでしたが、
 今なら、これほどの思いとエネルギーは・・・・?
    **************
 ① 関心事がまるで変わりました。
 ② 従って、ここまでこのことに必死になれないでしょう。
 ③ 過去の私に、呼びかけるように作業しています。
   こんなことを必死に考えて、読書したんだ??!! っけ。
 ④ 改めて、己の小ささを実感して赤面。それでも、尚、
   愛おしく過去を振り返りつつあります。
 人は変わるモンです。
  変わることによって,尚、自分で在り続けているんです。ネ?
 

小椋佳の詩 「と・も・だ・ち」 & 「人間の贅沢、ひとつ」

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年 1月19日(木)09時57分40秒
   「と・も・だ・ち」                  作詞作曲 小椋佳

生きてきて 心に尋ね
これが宝と 言えるもの
富でなく 名誉でもなく
それは「ともだち」
長い旅路の 道連れだった
同じ時代の 戦(いくさ)の仲間
或いは時に 競い合い 挑(いど)み合い
今打ち解けて 和み合う
微笑(ほほえ)み浮かべる 互いの瞳に
自分の歴史を ふと垣間見る

在るだけで 只居るだけで
嬉しい価値と 言えるもの
紛れ無く 躊躇(ためらい)も無く
それが「ともだち」
糞真面目(くそまじめ)とは 言わないけれど
一所懸命 生きてきたこと
言葉無用で 映し合い 感じ合い
今目を細め 響き合う
命の深みに 居座る孤独も
恋人のような ぬくもり抱く
嘆きやくどい愚痴も
頷(うなず)いて 掻き散らしてくれた
面と向かって 言うことも
無いだろうけど
友でいてくれて
ありがとう

数々の その振舞(ふるま)いは
助け救いと 言えるもの
報(むく)い無く 見返りも無く
それは「ともだち」
褒められるほど 立派じゃないが
それぞれの目に 恥じないことに
心を尽くし 務め合い 励み合い
今 足らなさを 支え合う
互いの眼差(まなざ)し 迎える明日を
上(のぼり)り坂として 背中を突(つつ)く
密(ひそ)やかな悦(よろこ)びも
共に居て 膨らましてくれた
不器用だから 口に出す
こともないけど
友でいてくれて
ありがとう

    「人間の贅沢、ひとつ」       作詞作曲 小椋佳

訪れては去る月日に 人それぞれ心尽くし
力尽くし 何事かを 刻み付けて 自分史書く
顧みれば その殆(ほとん)ど 不充分か 未完成か
けれど人間 知り得たものの
積み重なりに悦び知る
思えば学びは 人間が味わえる
それ自体贅沢(ぜいたく)の一つ
望めば学びは 誰でもが手に出来る
最高の 贅沢の一つ
どんな神の依怙贔屓(えこひいき)か 人間にだけ 与えられた
知ろうとする探求心 学ぶことの 充実感
闇に光り 見る快感 向上という 満足感
人の歴史に その密(ひそ)やかな
一歩一歩が 煌(きら)めいている

押しつけられ 義務付けられ
学びをただ 疎(うと)んだ日々
今にすれば 懐かしさに 微笑みを浮かべ 思い返す
今は言える 楽しいから 嬉しいから 好きだからと
学び続けて 昇る坂道 実りの明日が 垣間見える
思えば学びは 人間が 味わえる
それ自体贅沢(ぜいたく)の一つ
望めば学びは 誰でもが手に出来る
最高の 贅沢の一つ
いつか言おう 精一杯善い命を 生きてきたと
いつの時も 瑞々(みずみず)しい 青春気分 抱いていたと
真実へと 飽くことなく 可能性を 追いかけたと
学び重ねて 書き終わらない
その自分史に 悔いは無いと
 

坂村真民の癒やしの詩

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2016年12月29日(木)01時06分4秒
   不幸のどん底に居る甥に贈りたい言葉。
   T君よ ! 不運続きのT君よ。
    どうかより一層逞しくなってくれたまえ。

   **********
坂村真民の癒やしの詩

「幸せを求めている。

しかし幸せというものは
そうやすやすと
やってくるものではない。

時には不幸という
帽子をかぶってやってくる。

だからみんな
逃げてしまうが、

実はそれが幸せの正体
だったりするのだ。」




「花は一瞬にして
咲くのではない。

大地から芽から出て
葉をつくり、

葉を繁らせ、成長して、
つぼみをつくり
花を咲かせ、
実をつくっていく。

花は一瞬にして
咲くのではない。
花は一筋に咲くのだ。」
 

考える葦・・・人間

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2016年 9月25日(日)17時32分18秒
  絶望することのない人間は生きていないに相違ない
  生きるということはとにかくいいことだ
                       ゲーテ
 70歳を過ぎて見えるモノ・・・その一つです。

   ゲーテは、80歳を過ぎた頃にいったそうです。
    人間は考える葦である
      しかし、とても弱い生き物である・・・とパスカル。

  絶望の中から、光が見える・・・と思う。
 

雀はさえずる

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2016年 9月22日(木)18時03分8秒
  真継伸彦の「鮫」の後、目下「無明」を読んでいます。
 半袖では寒いほどの秋の長雨の音を聞きながら。
 CDを聴きながら・・・。 (>_<)
  以下のこんな一区に心を打たれました。
 人は何故?? 悩み迷うのでしょうか ?
 *************
「雀はのう、私は私という言葉を知らぬと言っておるとあれ(蓮見*この本の主人公の師)はいうのじゃ。」
(と、思い出話を聞かされて・・・。)
 なんとうつくしい言葉であろう、とそのとき私は感嘆した。
 『私は私という言葉を知らぬ』と、たしかに雀らはさえずっている。かかる無我の境地に住まう雀らにとっては、
 穢土がそのまま浄土であろう。雀らの言葉がお分かりになったあなたも、そのときはすでに浄土に住んでおいでに
なったのである。それをどうして、あなたはわざわざ穢土へ出ておいでになったのであろう?
                「無明」真継伸彦より
 

事事無礙の法界

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2016年 7月24日(日)09時50分56秒
  ※ 世界人口は73億人を超えたそうです。※
   一秒間に一人以上が増えています。
  ひとり 一人が集まって 世界。
   小さなヒトリが 集まって 相互間があっての邑。

 ◎人の体は,一つの細胞から発生し、やがて60~70兆個の細  胞で構成されると・・。
 それらが,お互いに仲良しだから、
   一口の食事が美味しく、一呼吸の空気が美味しい。
  時々、独走する部分を押さえたり、新しい細胞や組織に交代したりしています。10年前の細胞は殆ど残っていません。
  うまく妥協して認め合っています。
    -------------
  「おめぇ~汚い~!」と、
    鼻の細胞がお尻の細胞に文句は言いません。
    ===============
  生き物のいのちを奪って栄養として取り入れる、
   手・口の組織のお陰で、脳の細胞は機能します。
   **************
 ロッキード事件の録画を覧ました。新聞などで
各国での,テロや銃の乱射事件。自然災害や感染病もある。
さて、
◎ 社会の組織と機能を人体のそれに当てはめると
  それらは、体のどこと相対できるでしょうか ね ?
  政治家。公務員。教育者。警察官。検察官。司法管理者。
  科学者は事と事のつながる真理を追究するサンガーです。
  皆、懸命につとめを果たしています。
   己のいのちと、生と死を観る・見る方法を
     宗教家は探る。 ・・・はずです。
 

蝦蟇は哲学者?

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2016年 7月18日(月)12時31分33秒
  ※ ガマの油売りの口上※
 (江戸の前期、新治(にいはり)郡新治村の兵助という男が、口上を交えて江戸で売り出したのが起こりという。)

 青春時代でした。落語がラジオから流れていました。
 それがこのがまの油の口上。
  失意のドン俗で喘ぐのもつらい頃でしたので、この蝦蟇(がま)の気持ちに共感できました。
 今になっても此の心は消えません。私は凡夫。大勢居る凡夫の一人。
  年を経るほどに、これは”人間共通の”想いだ! と、思うようにはなりましたが・・。
  ***************

「さぁてお立ち会い、御用とお急ぎでない方は聞いてらっしゃい見てらっしゃい、・・・・
手前ここに取り出したるは万金膏(まんきんこう)ガマの油、ガマと申しても普通のガマとは違う、
北は筑波山の麓(ふもと)、
おんばこという露草(つゆくさ)を喰って育った四六のガマ、
四六五六(しろくごろく)はどこで判る、
前足の指が四本 後足の指は六本、合わせて四六のガマ、
筑波の山中深く分け入って捕まえましたるこのガマを、
四面(しめん)鏡張りの箱に入れる、
するとガマは己(おのれ)が醜き姿に驚き、
たらーりたらりと脂汗(あぶらあせ)を流す、
この脂汗をば柳の若葉で三七二十一日の間、煮詰めて作りましたのが、このガマの油、・・・」
 

私たちの今後・・・?!

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2016年 7月18日(月)08時41分46秒
  K・ローレンツ(1973)が、「文明化した人類の八つの大罪」について、次のようにサッとふれられていました。
私はこの「八つの大罪」に引っかかって、心に残り続けました。
   *************
① 人口過剰(社会的接触の過多から攻撃性の増大)
② 自然破壊(資源の枯渇、自然への畏敬の念の喪失)
③ 競争の激化(国家はあたかも異なる生物種のように競争し紛争する)
④ 感情情熱の萎縮(科学技術の進歩でかえって虚弱化する)
⑤ 遺伝的衰弱(自然選択の消滅)・・虚弱化
⑥ 伝統の破壊(急激な価値判断の変化、世代間の対立)
⑦ 教化(教育・マスコミによって画一化)・・違った切り口を攻撃・
⑧ 軍拡・核兵器
   *************
  未来の道をどう拓くか?? これからが人類の創造の世界ですネ?! ここからが、人の人たる姿を考える時期到来か?!
 

大切なのは、ごく簡単な事・・・それを丹念にすること

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2016年 2月15日(月)10時48分1秒
   大道は甚だ夷(たい)らかなり、而(しか)も民は径(小道)を好む。
                               老子 (小川環樹 訳)「けさのことば」中日新聞より
   ***************
  興味深い思いで拝読した。 そして、その後にこの言葉についてもっと知りたくなった。
   ***************
    原文はこうだった。
使我介然有知、行於大道、唯施是畏。大道甚夷、而民好徑。朝甚除、田甚蕪、倉甚虚。服文綵、帶利劔、厭飮食、財貨有餘。是謂盗夸。非道也哉。

書き下し文
我をして介然(かいぜん)として知有らしめば、大道(たいどう)を行くに、ただ施(ななめ)なるをこれ畏(おそ)れん。大道は甚(はなは)だ夷(たい)らかなるも、而(しか)も民は径(こみち)を好む。朝(ちょう)は甚だ除(きよ)められ、田は甚だ蕪(あ)れ、倉は甚だ虚(むな)しきに、文綵(ぶんさい)を服(ふく)し、利剣(りけん)を帯び、飲食に厭(あ)き、財貨は余り有り。これを盗(とう)の夸(おご)りと謂(い)う。道に非(あら)ざるかな。

英訳文
If I had any unnecessary knowledge, I would be afraid of stepping into byways. The great way of life is very even, but people like to go on byways. Though the Court is tidy, fields of crops are ruined. And the national treasury is empty. But some people wear gorgeous clothes and a sharp sword. They eat their fill and have many treasures. Their deeds are the same as robbers. They are going against “the way”.

現代語訳
もし私に少しでも余計な知識があったとしたら、大きな道を歩く時にその知識にひかれて脇道にそれる事を恐れるだろう。この人生の大きな道はとても平坦で歩きやすいのに、世の人々は少しでも近道をしようと脇道に入って自ら苦難の道を行く。朝廷は整然と掃き清められているのに、田畑は荒れるにまかせていて、米倉には少しも備蓄が無い。それなのにきらびやかな衣装を身にまとい、するどい剣を腰に帯びて、たらふく飲食して、有り余る財産を持っている輩が居る。こういう輩はいかに外見を貴く装っていても本質的に盗賊と変わりはしない。彼らは「道」から外れている。

 

レンタル掲示板
/26