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思想も見識も信念も・・言葉になって

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年 8月13日(日)14時40分56秒
  この頃の人は皆学校を出て、大学を出て、それぞれ相当の優等生だろう。しかし、私は時折感ずるのである。

この頃は文章や詩になる会話、問答が無い。国会なんかへ行って、或いは報道を聞いておっても、宰相、大

臣をはじめとして、名士はうようよいるけれど、この人はできておるな、この人は教養豊かだな、高いな、

おもしろいな、と思うような思想・言論・応答、そういうものがほとんどない。皆いかにも通俗ないしは低俗

だ。良きにつけ悪しきにつけ、歴史の記録に留めておくような発言、言論が実に乏しい。「なんとか言え」とい

う俗語があるが、この頃の人間は何ともいわん。本当に屠所(と殺場)に曳かれる羊のようです。

 昔、大学を出て優等生だったのだろうけれど、本当の学問をしておらん。本当の学問というのは人間・人

格・教養・悟道というような学問であるけれども、そんな学問鼻にもしていない。ただ学校で教科書・参考書

を読んで、試験を受けて、与えられた一時間か二時間にいくつかの問題に答案を書けばそれでいい。講義を聴

いたり参考書を読んで、暗記出もすればそれで間に合うというようなものは真の読書でもなければ学問でもな

い。もっとも、職業人として職業的知識・技術くらいは皆持っておる。持たなければ出世もできん。けれど

も、人間としての悟道、そういうものが何もないから、問題が起こって、思いがけない場に立たされたとき

に、言葉・思想・見識・信念といったものが、言葉になって出てこない。誠につまらない、いわゆる通俗・俗

人である。新聞なんか読んでおってもつまらない。

その意味でも「なんとか言え」とはいい言葉であります。

それなのに、出てくる言葉は相も変わらず繰り言・泣き言である。いずれ相当の人物だから、大向こうを唸ら

せるほどでなくても、心ある者をして頷かせるような言葉がありそうなものだと時々注意するが何も出てこな

い。新聞を読むのも嫌になります。

 こんなことは言いたくないけれど、田中角栄さんは鄙夫(ひふ)より起って、とにもかくにも大日本国の宰

相になったんだから、何か一言あってしかるべきだ。さすが田中はなかなかできておると思わせるような挨拶

があっていいのに、ただベラベラ喋っているだけで、思想も見識も信念も言葉になって表現されていません。

 挨拶の本当の意味を知る人、いや文字を書ける人もこのごろは少ない。

                 淡宕の心境 「人間至宝の生き方への箴言集  酔古堂剣掃」   安岡正篤著より
 
 

※ 淡宕(たんとう)の心境 ※

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年 8月13日(日)09時23分28秒
   今は消えた言葉か・・淡宕(たんとう)
          そして、真の 『学問』  ??
   *************************
 学問は、一朝一夕では会得できるものではない。

 のみならず、つきつめていえば、独り学ぶべきもの、「独」の心境で学ぶべきものである。

 「独」と言う字には、非常に複雑な、非常に深遠な意味がある。先ず第一に誰にでもわかるよう

に多くの人に対する一人、孤独の独という意味があり、その他に「絶対」という意味がある。

 相対を突きつめると絶対になる。

 それをさらに突きつめると人間も独になる。うまり、孤独の独ではない。絶対の独なのでありま

す。それがわかって初めて独立・独参・独行となる。

 独を味わうことは極めて尊いことです。「荘子」ではこれを「見独」と言い、仏教では必ずしも

禅に限らんが、独の深理、教え、深理を説いておるのであります。

 そしてだんだん独に徹していくと、初めて真の楽しみも開けてくる。そこが人間精神の最も微妙

なところで、「独楽」の境地が開けてくる。

 これを「一人楽しむ」なんていうのは極めて浅薄なる解釈であって、本当は「独の楽しみ」と考

えなければならん。

淡宕の心境 「人間至宝の生き方への箴言集  酔古堂剣掃」   安岡正篤著より
 

腹中の書より

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年 8月10日(木)16時19分32秒
  「老いていく」ということは、老衰することではなくて、老熟することを意味し、

老いと共に情が深くなるものだ。

 心境を活眼を開かせ、おのずから精神生活を豊かにする。これを余裕という。

 自然は実に愛(かな)しいものだ。人生は悲しいものだ。

  「人間至宝の生き方への箴言集  酔古堂剣掃」安岡正篤より
 

「腹中書有り」

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年 8月10日(木)09時39分52秒
  ※ 六中観をよく思い出しています。
  「忙中閑有り」・・は、よくご存じです。
  その他の五つは
  「壺中(こちゅう)天有り」
     「苦中楽有り」 「意中人有り」
       「死中活有り」 「腹中書有り」
     *************
  ○ 良き友がいて、良き愛読書がある。
   「腹中書有り」・・・で我が身を振り返ってみますと。

  先ずは、ご存じの安岡正篤氏の書だといえます。
  次に
    幕末の鴻儒:佐藤一齋の「言四志禄」です。 (二つ共に、HPの思索の庵に紹介させて戴きました。)
  もう一つ
   最近は、親鸞聖人の「教行信証講義」山辺習学・赤沼智善共著 といえるかも・・?!
    そう思うほど繰り返し読んでいます。
      そう言える本があることが幸せです。
 

末法の世を、いかに生きるか

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年 6月11日(日)09時47分11秒
  「教行信証講義」の読書中である。(山辺習学 赤沼智善著) その 化身土巻 P1243
  とても解りやすい解説された、全3巻の著作である。感動しながら最後の巻にまで及んできた。
  この辺りから末法の時代について解説され、更にその解説も為されている。
  最後まで、興味深く注意して読み進みたい。ときには前にさかのぼって読み返しながら・・。

※「教行信証」親鸞著の解説である。
     **************
 ◎「教行信証」親鸞著
 第十九願開説 第十九願の大旨(無量寿経の中にある弥陀の本願、その第19番目の解説)
  第一項 所化の機類 ・・・に、以下のごとく解説があった。

    「然濁世群萌穢悪含識乃出九十五種之邪道雖入半満權実之法門真者甚以?実者甚以希偽者甚以多虚者甚以滋」

     **************
  ◎  読み方: しかる(然)に濁世の群萌(ぐんもう)、穢悪(えあく)の含識(がんしき)、いまし九十五種の邪道をいでて、
   半満權実(はんまんごんじつ=中身に薄い)の法門にはいるといえども(雖入)、真なるものはなはだもって(甚以)がた
  (?)く、実者(じつ=正しく行ずる者)はなはだもって(甚以)希(き)なり。偽者(ぎなる=偽もの)甚以(はなはだもっ
  て)多(おお)く、虚者(きょなるもの=中身の無い者)甚以(はなはだもって)滋(しげ)し。

  ◎  講 義:然るに五濁の世に汚された群萌(ひとびと)、即ち煩悩悪業の含識(ひとたち)は、今や諸仏の大悲に育てられて、
   しばらく九十五種の邪道の網を脱(のが)れいでて、仏教に教えるところの半字教、満字教、又は権教、実教などの法門を信
   受し修道するようになっても、真にその教えに入る者は甚だ得がたく、如実の修道者は甚だ稀である。之に反して仏徒と言う
   は名ばかりにてその実は偽者が非常に多く、内心空虚(から)の者が甚だ多い。
    *********************
 末法の世をどう捉えて,一人ひとりのこころある人間が、どう生きていくべきか ??
 残り少ない人生の日々をどう生きていくべきか??
  この本の中から探って、見つけたいものである。  
 

※ 『個性』を自覚のできない仏教国:日本 ※

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年 6月 6日(火)07時49分47秒
   無我を美徳としてきた日本です。 しかし、混乱しているんです。
 「私」→も無しにする ? 「則天去私」と 夏目漱石。
 これにも同意できた日本人。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 しかし、混乱しているんです。
 ①「空気を読めよ!」と、無理強いされて「私」を滅却させた。
   **********
 我は、相手にも言う・・・「ワレ」 関西?
  手前、も相手にも言う・・・(テマエ) 関東?
  1人称と二人称の距離が遙かに近いが、
     三人称との距離は遙かに遠い日本人の文化。
  私とあなたの関係は近いが、国や地域のことは無関心。
   *********
 ② 明治憲法から昭和憲法へ・・・人権:個性に目覚めようと。
  現状は、殆ど、理解できていない日本人。急には変われない魂。
  人権擁護委員・・ほとんどが、解ったふりをしているだけの様子?
 ③ 年代格差が多きする。
  ・戦後七十年の今・
  ◇ 私は明治生れの祖父母に教育され、大正生まれの父母に育てら
    れ、昭和憲法の教育を受けました。
    育つ頃は,地域が協力して世話を焼き、子育ても・・。
  ◇ 拡散する宇宙のように、遠ざかる・・・
    世代・こころと真心・家族と家族・学校と教育も?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 家庭の父親の地位が変わりました。→家庭教育の変化
  地震/雷/火事の次に恐ろしかった父
  今、犬/猫/母の後に金魚。・・・
      その後を問われて、 ちち・父??
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 政治に無関心?・・・お上の仕事のまんまで・・ヤジ飛ばし
  批判だけなら、誰にでもできることだと言うことを忘れないこころ。
   人は皆、お互いに欠陥生物。
   聖者から愚者を叱責するかのような批判は、
    決して改善向上の効果を持たないことを、忘れてはならない。
   怒った欠陥政治家は、口封じに権力を行使したくなる。
 無宗教?・・・無宗教者に哲学や芸術は、深く理解できない。
   僧侶よ! 仏教解ったふりしないで、布教に努めようヨ !
   貴方たちは、仏の智慧を広めるのです。忘れていませんか?
 海の小魚のように、空飛ぶコウモリのように・・集団行動で付和雷同?
   意味の無い政治家の派閥?
  小物ほど,?? 群れを作りたがる?
    一人ひとりが、皆、違っても怖がらないで、
         今日を、いまを、Createするのです。
          一人ひとりが・・。個々に。
              それが個性
 

すばらしい!! 憲法にうっとりとする。

 投稿者:管理人苦縁讃  投稿日:2017年 5月30日(火)08時32分46秒
  (前文)  日本国民は,政党に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のため
に、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって
再び戦争の惨禍が起こる事のないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲
法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し,その権力
は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受すする。これは人類普遍の原理であり、この憲
法はかかる原理に基ずくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平
和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を
維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位
を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と缼乏から免れ、平和のうちに生存する権利を
有することを確認する。
 われらはいずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の
法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする
各国の責務であると信ずる。  日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成
することを誓ふ。

 それと・・
第10章 最高法規
    第97条 (基本的人権の本質)この憲法が日本国民に保障する基本的人権は,人類 の多年にわたる自由
獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試 練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すこ
とのできない永久の権利として信託されたものである。
    ********************
 憲法の前文(まえぶん)は、まるで大無量寿経を読んだときに感じるものと同じ心地になります。 仏教信
者の私には、感動的でさえあります。押しつけられた憲法とは思えませんね。
 明治憲法から随分大きく変わりましたので、前文だけでも十分にピンと来ない日本人の心。 戦後70年には
大きな意味があります。
 明治生まれの祖父母に教育され,大正生まれの父母に育てられた、70歳以上の世代がこの移り変わりを肌で
感じられるのです。 心も上手く転移しないといけない。

 若い政治家達には,真の平等が上手く理解できないのでは???格差の拡大に不感症になっている。自分が
よければの気持ちが本音でしかない。『志』が薄いのです。

 魂は100年単位で変化する。言葉は200年単位で変移する。 上手く伝える義務があるのです。70代以降の
日本人に・・・。
 

多賀城の件

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年 5月26日(金)18時54分20秒
  山田久夫様 ご意見ありがとうございました。
 出典など具体的な記憶がございませんので確認できませんが、虚構であるとの意見が合ったと追記させていただきました。 拝
 訪問いただきましてありがとうございます。
 

多賀城

 投稿者:山田 久夫  投稿日:2017年 4月22日(土)16時53分46秒
  多賀城は陸奥国府ではないと思います。天平九年四月十四日 [続紀] 737年
 遣陸奥持節大使従三位藤原朝臣麻呂言、二月十九日、至陸奥国多賀柵一。与二鎮守将軍従四位上大野朝臣東人一、共平章。
(前略)
一分配番上兵士一千五百人 兵士一千人 健士五百人
胆沢城七百人 兵士四百人 健士三百人
玉造塞三百人 兵士百人 健士二百人
多賀城五百人 並 兵士
右城塞等、四道集衢、制レ敵唯領、儻充二臣所一レ議、伏望、依レ件分配、
以前奉レ勅、陸奥国司奏状如レ前、具任レ所レ請、逾勤二兵権一、
不レ可二簡略一、
  弘仁六年八月廿三日
上記の如く多賀城は陸奥城塞の一つであり陸奥国府ではない。
江戸時代に発掘されたとする多賀城碑文は他の正史と符合しない。
多賀国府と吾妻鑑にあるが、該当時代の遺物は出土しない。
宝亀十一年十月廿九日 [続紀] 780年
(前略)若以二今月一、不レ入二賊地一、宣下居二多賀・玉作等城一、
能加二防禦一、兼練中戦術上。
宝亀十一年十二月廿七日 [続記・紀略]  780年
陸奥鎮守副将軍従五位下百済王俊哲等言、己等為レ賊被レ囲、兵疲矢尽、
而祈二桃生白河等群神一十一社一、乃得レ潰レ囲、自レ非二神力一、
何存二軍士一、請預二弊社一、許レ之
多賀城が神亀元年に造られた国府とする説は江戸時代に創作された虚構である。
 

※ 無慚 哉 ※

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年 4月 1日(土)14時04分44秒
   いのち・生き物の中で、ヒトほど哀しい存在は、あるだろうか?
 弱肉強食な肉食動物の常ながら、哀しみを意識する生き物は人間のみだ。
 朴・チョンヒさんは、天と地獄を体験している。
 哀れに思う。
 罪は、人間、誰にもありながら・・・、余りにも強く、権力と財に関連した。
 生い立ちと育ちも並外れて哀れだった。
 精一杯、彼女なりに生きた。・・・と思う。
   **************
 いつだって,誰かリーダーに頼りたい、人間。
 リーダーという、ただの人間を頼んでおきながら、ヒトは依頼心が強いだけ、身勝手な批判の目を注ぐ。
 人間特有な、むごい世界である。哀れな生き物である。
   ***************
 私は仏教に安らぎと堅固な理想を見いだしている。
  「教行信証」には、子どもの頃に感じた、優しい祖父母のあたたかい慰めを感じるのである。
  日本人よ !! 真実、心より深く(深心)、誠実に(至誠心)・・・、仏教を読んでみよう。
  新しい人間の生き方を、仏教の中から学んでみようではないか???!!! ・・・と思う
  (^_-)
 
 

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