戦争が終わって、中国大陸に行っていた私の父親になる人が帰ってきて、私の母となる人と結婚して、最初の子供を病気で亡くし、2番目に埋まれたのが私でした。終戦からまだ10年も経っていない時代です。仙台市内にも占領軍(米軍)も駐屯していたとのことでした。
父はから中国大陸での戦争の悲惨な残酷な話も聞かされました。そんな父は軍歌を歌ことはありませんでした。
母は、私にラジオから流れる童謡を聴かせて歌ってくれたそうです。「緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台・・・」を何度もラジオで聞いた記憶があります。
歌は、メロディだけで情景を思い起こさせるものもあれば、「詞」が重要なものもあります。
私は、軍歌に限らず無邪気に、歌の背景も知らずに歌いたくはない、とおもつています。また、その伴奏も(下手なことはこの際棚に上げて)したくはないです。
たとえ、弾いて、といわれても(実際弾けないので)「下手だから簡単な童謡と文部省唱歌しか弾けないです」と言って、逃げてしまうでしょう。実際、童謡も正しく弾けないのですがね。
でも、外国からきた曲の場合、(最近はネットで自動翻訳もあるので、それなりに調べることはできるようにはなったけれど、)歌のできた背景までは、わからないものもけっこうありますね。
元歌が外国の「戦時歌謡」だけれども、日本語詞はその影を全く消してしまっているものもあるとのこと。
アマチュアの特権として、「嫌いな歌は歌わない」ということもできると思います。
讃岐のアコ吉様の生まれた年代と、育った環境がどのようなものかは存じ上げませんが、自分の思想・心情と矛盾がなければ、歌ってもよろしいとおもいます。
音楽は、ときとして、ものすごい武器になることもあります。
明治初期に学校教育に音楽が取り入れられたのも、そういう観点からの考えも含まれていた・・ということを読んだことがあります。
・・・・と書いてはみたものの、無節操な私は、無邪気に、外国の戦時歌謡あたりを、ひとりで弾いたりするんですね・・・・。
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