<思いやりのあるコミュニティ宣言>
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sage

  • [650]
  • そういえば

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2020年 2月19日(水)06時53分7秒
 
以前から、出禁の怪しげな投稿が多く、そんな投稿が自動削除されるたびに、特に書き込みが無くても、話題の順番が入れ替わったりすることがありますが、たまたま、爪を切りながら、思い出したので、書き込みたいと思います。

アコを愛する人は、爪を切りましょう。 鍵盤を気づつけないためです。 そうでないと、本来、指の先端で押すべき鍵盤を、指先のおなかで弾くことになってしまいます。 まぁ、それでも弾けないことはないのですが。。。

あと、やはり、アコは重いので、筋トレは必須です。 そうでないと、演奏に強弱のメリハリが出ないだけでなく、背骨や腰を痛めます。

あと、重いアコをずーっと背負うというか、抱っこしていると、肩にベルトの重さが加わり、鎖骨神経が圧迫され、最悪の場合、両手・両腕の神経がやられえてしまい、ワンゲルクラブや登山家などが陥る、両腕脱力症(という病名があるかどうか不明ですが)になり、結局アコが弾けなくなるという大悲劇につながります。
ですので、アコの練習も、ほどほどにして、時々休憩して、肩をぐるぐる回して、神経を圧迫から解放してあげる必要があります。

ある程度の年齢に達したら、無理をせずに、高級だけど、でかくて重いアコはあきらめて、若い人に譲って、自らは小さくてもそこそこいい音のでるアコに乗り換えるのが、アコを人生の最後まで楽しめることになるので、非常によろしいと思います。

と、爪を切りながら、ふと思い出したことでした。 もっとも、そんなことをふと思い出して、私が爪を切っていた、パソコンのキーボードをたたいていたら、指先ではなく、指のおなかでたたいていたからでした。

  • [646]
  • あ、そうそう、楽しさ倍増=練習倍増でしたね!

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2019年 1月16日(水)18時42分30秒
 
まさに、それですね。 アコーディオンがいい音色だったり、気分転換にいろいろなアコが弾けたりして、楽しさが持続すると、当然ながら、うれしさが増し、練習量が増えますね。
だから、うまくなる。
いいアコーディオンを持つとうまくなる、というのは本当だと思います。
逆に、お手軽なアコだと、わりとすぐに飽きちゃうので、やっぱり興味が減る。だからうまくならないうちにやめちゃう。 なんてことも多いようです。
ただ、そんなお手軽アコも、うまくなってから弾くと、始めたころのがっかり感よりは、軽快で軽いアコをぶん回して弾けるという楽しみに変わるので、その、つらい時期を過ぎることができれば、お安いお手軽アコも、あとから再登場、出番が回ってくることがあります。
ただ、挫折の原因にもなりかねないので、アコを始めるひとは、できることなら、ご予算にちょっとだけでも背伸びをして、少しでも、ワングレードだけでも上のモデルをお買い求めになることをお勧めしたいです。
で、いろいろなアコがあることがわかってきたら、気分転換に、ちょっと別のタイプのアコも追加してあげたりすると、楽しさ倍増=練習倍増、という、讃岐のアコ吉さんの方程式が理解できるようになると思います。

  • [645]
  • アコ三昧

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2019年 1月14日(月)00時49分28秒
 
大間のマグロを3億円で競り落としたすし三昧がありましたが、讃岐のアコ吉様はさらに楽しいアコ三昧ですね。
アコの種類の違いを気分に合わせて選べるというのは、はっきり言って、「快感」ですね。 正式に浮気を許された気分。 不倫は文化とのたまった石田純一氏とはことなり、アコについては、浮気は、認められています。
大型のチャンバーアコのサウンドの深みもいいし、軽快な小型アコの純情な(?)サウンドもかわいいし、また、その軽さがうれしいですね。 ナナハンバイクからスーパーカブに乗り換えてみると、カブのスピードの遅さよりもその軽快で自由な気分がうれしい、なんてのにも似てます。 音色の違い、重量、弾き心地、どのアコにもそれぞれ魅力があり、どれもかわいいですね。
一夫多アコ、OK!

  • [644]
  • 楽しさ倍増=練習倍増

  • 投稿者:讃岐のアコ吉
  • 投稿日:2019年 1月10日(木)20時46分41秒
 
アコほど機種によって音色の違いが感じられる楽器は少ないですね。

クリーン、ソフト、繊細、芳醇、甘口、辛口、チャンバー有り無し等々。

ミュゼットの音色も機種毎に全然違いますね。

練習していてもアコを取り替えると音色が変わって新鮮な気分でさらに練習できます。

今度はこのアコに変えて練習しようと思うだけでワクワクします。

アコはできるだけたくさんあればその分楽しさが増えます。

私は身分不相応に何台か所有しておりますが高齢であるため上達にはあまり

期待が持てずただ音色の違いを楽しんでいる現状です

  • [641]
  • 聴く方に喜んでいただくことは無上の喜び

  • 投稿者:讃岐アコ吉
  • 投稿日:2016年 4月14日(木)22時20分18秒
 
たしかに自分一人で楽しんでばかりでは飽き足りないと感じることがありますね。

楽器を楽しんでいる方々は、殆んど例外なく施設への訪問演奏や発表会で

の演奏を目的とされています。

人は人との関わりのなかで生きているんですね。

だからこそ喜びを分かち合えたときは本当に幸せです。

川井様のコメントで納得の表現に出会えたことを喜んでいます。



  • [640]
  • 一言追加させていただくと。。。

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2016年 4月14日(木)06時36分47秒
 
アコ演奏の楽しさは言葉に言い尽くせないほどある、とすでに讃岐のアコ吉さんがご発言なさっていますので、一言追加も蛇足かとは思いますが、あえて一言申し上げれば、それは、自分で演奏して、自分が楽しい思いをするその音楽を、ほかの人が効いて一緒にその音楽を喜んでくれるということを実感するということではないかと思うのです。

それが、時として、自分としてはそれほど好きな音楽ではないとしても、聴く方が喜んでくれる曲を提供できたという喜びは、自分の好きな曲を弾いてうれしいという喜びよりも大きいのではないかとも思われるわけです。

おそらく讃岐のアコ吉さんは、そんなことをすでにこれまで幾度もご経験なさっていると思います。 で、そんな喜びは、やってみないとわからない異次元の体験ではないでしょうか?

普通に楽器を弾くという人は、お稽古事であれば、先生や同僚、あるいはその友人や親などの前で弾くときがたまにあるぐらいで、学校の試験と同様な捉え方をしている場合がある。 もちろん、そこではわが子の成長ぶりに感動する親もいるが、90%はお義理の拍手だけど、それでも、感動を与えた、喜んでもらえたという感覚を体験できる場でもあるかもしれない。
自分でギターなどを買って家で教則本をにらんでじゃかじゃか鳴らしているうちは、この感覚がわからない。 アコも同じ。 で、人前で弾くようになると、珍しい楽器だということで、子供らも寄ってくる。 徐々に、様々な年代の方が集まってきて、中には、どれかの曲に痛く反応する人もでてきて、おじゃべりにつながり、人との交流が芽生える。 そんなところから、演奏を通じた心の会話が生まれる。

あ、一言が、すでに多言になってきてしまった。 そんなことは演奏をして初めて感じる異次元の世界であり、演奏をしたことが無い人は、そんなことは想像はできるかもしれないけど、実感がわかない。

で、そんなレベルに達するにはある程度の練習も必要なことは言うまでも無い。 自分でもアコの練習を始めたころには、そんな人とのハートの交流のことなど考えも及びませんでした。

アコを自分で演奏するということは、自分の好きな曲を好きなように、いつでも弾ける。 これがまず楽しい。で、気がつくと、自分の音楽でほかの人の気持ちを楽しくしてあげることができる、あるいは、その人に忘れていた思い出を思い出させてあげることができる。 その人とある時代の同じ雰囲気をシェアすることができる。 で、新しい交流が芽生える。 そんなことは、アコを始めたころには考えもできない。

だから、アコを自分で演奏をするということには、言葉に言い尽くせない楽しさがあるのですね。

あ、すべて、讃岐のアコ吉様が短い言葉でおっしゃってくれていましたね。 まさに蛇足でした。。。


  • [639]
  • 口数に 反比例する その中身

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2016年 4月12日(火)23時18分45秒
 
主旨はその通りでございます。 今回は短く回答できました。 いらない説明が多すぎて失礼しました。

それはともかく「塩ラーメンに残り物の野菜を入れて、仕上げに豆乳を入れて作る僕の大好きな食べ物だが、最近はこれにカレー粉を入れて、ニンニク、ショウガを混ぜるなどのトッピング」、
これはお試しあれ。 豆乳は牛乳でもOKですが、ともに、水を少なめにして煮ておいた具と面をどんぶりにいれてから、最後にいれるのがコツ。 ちなみに、即席塩ラーメンについているスープのもとも、同様に最後にいれるのがベスト。

あ、また、いらないお話で、失礼しました。

  • [638]
  • アコ演奏の楽しさは言葉に言い尽くせないほどである

  • 投稿者:讃岐アコ吉
  • 投稿日:2016年 4月12日(火)21時16分39秒
 
「自分で弾いて楽しむのは能動的であり何の制約も無い完全自由であり天国に

遊ぶことである」という主旨でしょうか。

川井様の解説、私はすごく共感できます。

天国説はいいですね。アコを弾けば何もかも忘れてこの世の天国です。

棋狂様のお話、「恋愛は小説読んでも楽しいし、自分で経験するのも

楽しい、同じ楽しみなら・・・」と勝手に連想してしまいました。

カルチャーセンターには大正琴・フラダンス・コーラス・絵画などなど

各教室は中高年の生徒さん達で溢れています。

皆さんそれぞれ能動的に楽しんでいらっしゃいます。

  • [637]
  • そして、その下の句は。。。

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2016年 4月11日(月)22時23分24秒
 
♪同じ阿呆なら、踊らにゃ損、損♪ 言い直せば、アコ弾く阿呆に聴く阿呆、同じ阿呆なら弾かなきゃ損損!

そうそう、続けていくことで、確実に進化している自分の腕前を確認できるのも、向上できる喜び、達成感を与えてくれますね。



  • [636]
  • 踊る阿呆に見る阿呆・・・

  • 投稿者:棋狂
  • 投稿日:2016年 4月11日(月)20時19分38秒
 
名曲・名盤のCDを聞く楽しみもあり、下手くそなアコで好きな曲を弾くのもあり、どちらがいいんでしょうかねぇ・・・
こうした議論で盛り上がっていますね。先輩諸氏の投稿に、う~ん!と共感しています。

掲題の至言は、非常に単純に人生の機微を表しているように思えます。

私の演奏は、自分で言うのもなんですが、極め付け(!)の下手くそです。
それでも、続けていて去年に弾いた曲を、今年になってもう一度弾くと、「あれ?この部分、去年はえらく苦労したよなぁ。」とか、「えっ!このコードはこのメロディにこんなに新鮮に対応するものなんだ。」みたいに、新たな感動が味わえます。

だから、ボランティア訪問演奏で、自分の下手さ加減にうんざりすることがあっても、あまり落ち込まずに続けていけるのかも・・・と慰めています。


  • [635]
  • 人の心を読めれば。。。

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2016年 4月11日(月)08時38分42秒
 
こんな苦労はないものを。。。 人の心を読めれば、それは、ある意味で、透明人間になって、人の秘密をすべて覗き見ることができるようなものでしょうか。
今、思い出したのですが、たしか、昔、テレビの連続ドラマで「透明人間」というをやっていた。 それが面白くて、よく見ていました。
それを見ているうちに、自分でも透明人間だったら、あれもできるぞ、これもできるぞ、と妄想を膨らませるようになり、良く夢にまで、自分が透明人間になった夢を見たりしたことを思い出しました。

でも、人の心が読めたら、きっと悲しくなってしまうかもしれない。 「深いい話--」とおっしゃっていただいても、実際は、「なに、くだらないこと言ってんのよ!」と思われていたり、「。。。心理学者ですね」などとお世辞をいわれても、「ばーか、そんなこと聞いてんじゃねぇよ!」なんて思われていたりして。
そんな、ことを考え始めると、こわくなってしまい、だれとも話をしたくなくなってしまうかもしれない。

でも、本音でしゃべってほしいけど、本音でいわれたらへこみそう、という弱気で、どうする。
私は人の心は読めませんので、いただいたお言葉は、そのままいただくことにさせていただきます。


  • [634]
  • それにしても自分が弾くほうが楽しいのは。。。

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2016年 4月11日(月)08時37分39秒
 
というご質問にはまだ回答できずにおります。 そもそもいい演奏、気に入った演奏とは何か? 気に入らないのは、何が気に入らないのか?
世にあふれる名演奏家の演奏を聴いて感動する場合もあるし、世界最高峰の演奏でも、自分の興味や嗜好に合わなければ感動しないとか、つまらない、気に入らないということになる。

そもそも、世界の音楽は、といわずとも、テレビ・ラジオから流れてくる音楽がすべて自分のお気に入りの音楽であるわけがない。 お気に入りの音楽家の演奏会でも出てくる音楽がすべて100%気に入る場合は、、、あるかもしれないけど、無いことも多い。

その基本的にな違いは、ActiveはPassiveか、と英語で言わなくてもいいけど、能動的か、受動的か、という日本語のほうが難しいか、、、その違いがあるように思われます。 つまり、Active、すなわち能動的、であれば、自らに選択権があるので、好きな曲を弾ける。 嫌いな曲は弾かない。 つまり、高級ビュッフェレストランで、好きなものをお皿いっぱい取ることができて、お替わりまでできちゃう。 いわば好きなものを食べ放題。 まさに夢のような世界が待っている。 食べ物の場合は、その後の肥満・生活習慣病の恐れがあるが、音楽にはそれが無い! オー、ワンダフル!
一方、Passive、受動的であれば、相手の差し出す音楽を、いわば定食で、メニューはあるが、選択の余地は限られる。 カツカレーとアンミツのセットとか、すしとエビチリのセットで、テキーラもつけてほしい、などという期待は満たされることはまずない。 で、いくらおいしいものでもお替わりはできない。 できたとしても、ライスとキャベツはお替りできます、というぐらいだ。 もちろん、とんかつを食べた後、キャベツにドレッシングをじゃぶじゃぶかけてご飯をお替りする大学の相撲部員などはそれでもいいかもしれないが、普通の人には、たまたまうまい、お気に入りの定食セットに出会えればラッキーだが、その保証はない。
まして、知らないレストランで頼む「今日の定食」には、昨日使いきれなかったイワシのフライとか、板さんお任せでは、賞味期限ぎりぎりの材料で作られる場合も想定されるので怖い。

高級レストランのビュッフェといわずとも、自宅で、好きなものをつくる喜びと満足感は、塩ラーメンに残り物の野菜を入れて、仕上げに豆乳を入れて作る僕の大好きな食べ物だが、最近はこれにカレー粉を入れて、ニンニク、ショウガを混ぜるなどのトッピングをほどこし、世にこんなにうまいものがあるのに、どこのレストランにも無い! という、自己満足・自分の世界を構築する喜びが生まれる。
たとえ、周りの人になんと言われようと、自分な好きな音楽を好きなように演奏するよろこび、それは、自分で世界を創造する喜びに通じるものがあるのではないか? そこにはタブーもなければ、禁じ手も無い。 まったもありだし、負けても取り直しもできる。 失敗しても、やり直しのできる人生がある。

そんなことは、この浮世では許されない。 社会的なバッシングを受けることになる。 でも、自分でやる音楽にはそれが無い。 自由だー! (古い!)。 Oh,Freedom!

みずからの音楽のエデンの花園に一人さまよい出ることができる。 そこには閻魔様も仁王様もいない。 いるのは、流し目の、ほほえみのミューズの神様がいるだけだ。
そこは、天国なのです。 そう、自分でアコを弾くということは、この世で天国にちょっと遊びに行くということなのです。

アコーディオンの名手は星の数ほどいても、自分の演奏技術はそことは遠くかけ離れていても、そんなの関係ねぇ、そんなの関係ねぇ。

ただ、人前で弾くときは、これをよく理解したうえで、自己満足の部分と、お客様に気にってもらえることを切り分けて考える必要がある。
選曲と演奏方法、さらには、お客様のとのコミュニケーション、そして、お客様に感動を与えられていないという失望感、そんなものと闘いながら弾かないといけない。
だから、自分で弾く楽しみと、それを聴いてもらって楽しみをShareできるということは、別の次元のことであるとはっきり理解する必要がある。

自分にってのエデンの花園は、他人にとっては、ごみ処理場の腐った生ごみであったりすることもあるということを忘れてはならない。 それはActiveかPassiveか、選択権・感受性がどちら側にあるかという基本的な命題で、これは思えば、讃岐のアコ吉様がご指摘をしていただいた、極めて重要な問題提起であったと思います。


  • [631]
  • 救われるコメントです

  • 投稿者:讃岐アコ吉
  • 投稿日:2016年 4月 9日(土)20時46分29秒
 
私もヴィオレッタ様と同じく「うーん」です。

川井様の代弁により彼の心情を察すれば、とても救われた気分になりますね。

彼も川井様の代弁を聞けばきっと「その通りだよ、そんなことが分らんのか、

察しの悪いやつだよ、まったく付き合いきれないよ」と言われそうです。

人の心を深読みできる川井様は心理学者でもあるんですね。

  • [630]
  • うーん。

  • 投稿者:ヴィオレッタ
  • 投稿日:2016年 4月 9日(土)19時08分6秒
 
うーん。
讃岐のアコ吉さん、の、
妄想ご友人、さん。

めっちゃ よい事おっしゃいますーー

泣けます。
深いい話ーー。


  • [629]
  • 讃岐アコ吉さんへのコメント

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2016年 4月 9日(土)18時17分14秒
 
僕が讃岐のアコ吉さんの友達だったとしたら、こう考えたかもしれない。

自分には写真を撮るという趣味があり、その腕には自信がある。 音楽は好きだが、演奏するだけの基礎もないし、一つの楽器にのめり込むというより、幅広い音楽というもんが好きだ。
アコ吉君はチェロの演奏ではすでに高みに達している。 今更、あとを追って、チェロをやっても、どうせアコ吉君には追いつけない。 そうなれば、劣等感が生まれ、面白くないし、アコ吉君への嫉妬心が生まれる。
もし、自分もチェロをやって、もしもアコ吉君よりうまくなったりしたら、アコ吉君のジェラシーを買いかねない。

僕は、アコ吉君のことが大好きだ。 二人で音楽を鑑賞することがとても好きだ。 ただ同じ楽器にせよ、違う楽器にせよ、競合関係になる、あるいは別の音楽の道を歩むことになる、あるいは、音楽の演奏において、異なる意見をもったりして、アコ吉君との友情に傷がつくことだけは避けたい。
それは、長年大事にしてきたアコ吉君との友情を失いたくないからだ。

だから、僕は、アコ吉君の演奏を記録に残し、それを写真道としてのアートに昇華することで、自分の撮影する技術を高め、同時のそれが友の喜びにもなり、自分との演奏の比較とか、そんなことからつまらない心情的なストレスを持つことで友情を壊すなんてことにならないようにしたい。

だから、僕はいつも、アコ吉君が演奏するときは、カメラマンに徹して、聴衆とともにアコ吉君に声援を送りたい。 演奏会に行くときは、アコ吉君とはライバル関係ではなくともに芸術を楽しむという共通の喜びをもつ、楽しみをShareできる真の友人として、アコ吉君という素晴らしい人間に巡り合ったことを一生の宝物として死ぬまで大事にしたい。

と、下北半島の恐山のイタコに仮装したピロシーストラはアコ吉君の友人の声色で語った。


  • [628]
  • tachinonさん、Please Don't stop posting. Keep writing!

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2016年 4月 9日(土)17時56分42秒
 
tachinonさん、投稿し過ぎなんてことは全くありません。 いつも、有益で楽しい情報を楽しく拝読させていただいております。 皆様のそれぞれにご興味を持たれていると思いますので、ゆめゆめ書きすぎか、などというお考えはお持ちになりませんように!

書かなくっちゃ、話が始まらない、読まなくっちゃ、会話がつながらない。 どなたからもご投稿をいただけない日のなんと寂しいことか。。。 いつでもどこでも覗けるこの掲示板は、私にとっても、一日のうちの最大の喜びとなっております。 たまに覗く方も、良く覗く方も、毎日覗いていただいている方も、そして、もちろんご投稿をいただいている方も、すべて、この掲示板の運営にご協力をいただき、また、それが何らかの楽しみになっていれば、管理人としては、大満足なのであります。

Don't stop... と書きだして、Please Don's stop loving me.というロマンチックな歌を思い出しました。

Elvis Presley - Please Don't Stop Loving Me
https://www.youtube.com/watch?v=qE2LsP_cPa4

すみません、自分の趣味・嗜好を押し付けて。。。

  • [627]
  • アコを弾くのは大好きで楽しいです

  • 投稿者:讃岐アコ吉
  • 投稿日:2016年 4月 9日(土)10時10分52秒
 
退職して転勤先から故郷へ戻って、友人とは遠く離れて数年に一度くらいしか

会うことがありませんが、オカルト1号様のお言葉で思い出しました。

彼は写真撮影が大好きでした。私はカメラにあまり興味がないものですから

すっかり忘れていました。

私はアコーディオンを始める前はチェロが趣味で室内合奏団に所属していました。

コンサートの時に彼は150キロも離れた隣県から写真を撮りに来てくれたのです。

彼はその作品を「ハーモニー」というタイトルで。写真展に出品しました。

写真展の終了後にその作品を私にプレセントしてくれました。ずっと大切にしています。

だから彼は写真展で鑑賞するだけでなく自分で作品を創ることの楽しさは分っているのでした。

音楽は大好きなのに全然、楽器が弾けない口惜しさ半分の「つまらんつまらん」だったのでしょう。

tachinonn様が言われるように好きだから楽しいということでしょうか。

そしてオカルト1号様の哲学的な話にあります「人に伝えたい」という本能でしょうか。

人それぞれに好きなことや興味のないことがあって、世の中うまく回っているんですね。

tachinonn様、オカルト1号様、私の単純な疑問に含蓄に富むお話ありがとうございました。




  • [626]
  • そうでした。「標準語訳」をつけるの忘れてました。

  • 投稿者:tachinon
  • 投稿日:2016年 4月 8日(金)21時42分49秒
 
音楽失調症専門医様。
標準語訳、つけるつもりが、つけるの忘れてました
。メジャーな音楽がすべてではない・世界のいろんなところに素晴らしい音楽があり、私はまだそれを知らないだけだ・・というポリシーにそって、マイナーな言語を書いたものの訳語をつけるの忘れてました。
「いいんだねーすかや」は「ИИННДАНЕEСКАЯ」でなくて、「まぁ良いんじゃないですか」の宮城県の方言です。
(ロシアマニアと思われているので、「スカヤ」でダジャレのつもりだったのですが・・・)
ちなみに、後ろバックコーラスのねーちゃん等に目が行くは、メインがアコでない時ののみですよ。ご安心を
以前にも書き込んでいたかもしれませんが・・
例えば⇒https://www.youtube.com/watch?v=akkOjw9b7bQ
とか、こんなの⇒https://www.youtube.com/watch?v=HkGS263lGsQ
です。

 ところで、メインスレッドに書くべきかもしれないけれど・・最近自分の書込みが異常に多くなってきているような気がします。
・・これつて、もしかすると・・心の病?或は、認知症?かも
だれか、気づいたら指摘してくださいね。本人は気づかないのですから。
早めに病院に・・行かないかなあ・・・そのほうが幸せかも



  • [625]
  • ちょとまてちょとまてtachinonさん!!

  • 投稿者:音楽失調症専門医
  • 投稿日:2016年 4月 8日(金)20時10分39秒
 
フルート吹いてるおねぇーちゃんとか、バックコーラスのおねぇちゃんとか・・そっちについつい目が行くなんてそんな!アコーディオン弾いてるおねえちゃんはど~でもええとうゆうわけなんか?ましてやそれがミニスカートのオカルト妹でもあなたは興味がないと断言するわけですね?そのご自身の発言は、なんら問題ないわけですか?
それってダースベイダーよりたちわるいとゆう自覚はまったくないのですか?

ほんでついでやからゆーとくけど、どっかでいきなり「いいんだねーすかや」なんてゆってなかった?

だいたいそもそもねえ、最低でも標準語ないしはちゃんとゆってくれるんやったらオーソドックスな大阪弁でないと、それ以外は万国共通語とちゃうにきまってうやん、
全員『いいんだねーすいか』、と読むに決まってるでしょまったく!、あなたは一度でもメロンとかの気持ちになって考えたことありますか?

それとも、悪役をでっち上げてけんかであそぼうとたくらむぼく自身の心の病なのか?

まあええわ、いづれにせよ、『ちょとでもひとの弱みに付け込むのが生きがいの自分』がおる。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前もってゆうとくけど、ぼくは、まんがいち、つけこんだり、ゆすり、はしたとしても、いきとしいけるものの差別をする主義ではありませんので、このたびは微生物類様には失礼しますが、

たとえアメーバやばい菌でも、その繁殖、すなわち子孫繁栄のために命をかけて生きているのだ!

それはね、根本的には種族の繁栄ではなく、個人己の持ちうるものと同じ生命の炎を、いつか滅び行く己の体の代わりに次の世代の命に残して伝えたい本能。

植物なら、その各々が種を飛ばしたり
クラゲもイカもタコもセックスしてetc.

とにかく各自そのものの化身を次の世代へ受け継がせながら宇宙のすべての生命の歴史がなりたっているわけですねえ。

さて、それが人間なら、最近掲示板で流行の言葉でゆう『低俗』なら、とりあえず本能のおもむくがままにセックスしておのれと物理的に酷似するDNAを持つ次の世代をもたらそうとする基本形。

ねえ、ひょとしてその讃岐の光源氏氏のお友達は、毎日お姉ちゃんたちのおしりばっかり追っかけてるすけえべじじいタイプ???・・・もしそうなら、そのおともだちは、性格的に『おのれと酷似するDNAを持つ次の世代をもたらそうとする基本形』の要素がきわめて高いのではないでしょうか?

あるいは、そのお友達は、音楽に関しては、鑑賞するだけでよくても、文章を書いたり絵を描いたり、陶器を製作したり、折り紙作ったり考古学に夢中だったりしませんか?あるいは、息子さんやお孫さん、あるいは、親しい若い世代と接してご本人の経験を語ることをこよなく好むひとだったりしませんか?

つまり、とーぜんですが、人間それぞれ、己のみが持っている何がしかを、後世に伝えたい本能は、それが芸術的なことであるとは限りません。

人間の場合、最近掲示板で流行の言葉でゆうなら『高尚』あるいはまあ、ちがう言葉つこてデリケートとか、とにかくそれゆえに、ただたんに物理的な『おのれと酷似するDNAを持つ次の世代をもたらそうとする』ことに付け加えて、『己が感じたこと、己の心の色や情緒、己が持つ愛情』とゆうような、(物理的とゆう言葉に対してゆうなら)精神的ななにがしかを、人に伝えたい、後世に伝えたい、残したい、と発する本能があるのだと思います。

(例外的に精神的に病んでいるため、誰にも何にも伝えたい自発的意欲のない人もいます、すなわち、ひきこもりですねえ)

あなたが、人前で演奏して、うまかったねえとゆわれてほめられて、それだけで満足できますか?演奏して、その曲に抱くあなたの感動、あなたが感じる美しさが、ほかの人に伝わった瞬間、初めてほんとうにうれしいのではないですか?もちろん一人だけで練習してるときも、ひとつの曲がだんだん出来るようになってきたら、それはすなわち、次回、あなたの感動を演奏で表現できるようになってきているからでしょう、その演奏であなたの感動を人に伝えることが可能になってきている喜びなのです。


さあ、いよいよつきつめていくと、あなたが

『鑑賞よりも自分で演奏するほうが、より楽しいのは何故か?』

音楽鑑賞は、ひとつの楽曲に対して、それぞれが感じる各個人のばらばらな心の感・・それまで。その時点で各個人の心の中に納まっているだけで終わり、せいぜい、同曲を鑑賞したもの同志が、良かったねえ、そうでもなかったねえっ、とか話し合いするくらいで、とーぜんその各々の心の奥底にある感動が、ほかの人に伝わることもない。

自分で演奏すること、それは、音楽で受けた『あなたの心底の感動』をほかの人や次の世代の人に伝える行為です。

讃岐の光源氏氏、あなたはとてもとても音楽が好きで、心の中が音楽の感動であふれていて、その、あなた自身が持つあなただけの、貴重な感動ををほかの人や次の世代の人に伝えたくてたまらないのです、それは、あなたのその『好色お友達』がそうでないように、誰でも彼でも持っている能力ではなく、一般の人には難しい特殊ですばらしい能力です。


ちなみに、楽曲を制作する立場の人は?もちろん芸術作品を制作する人たちも、各々の心の中の感動愛情があり、各々が人々に、後世に伝えそれがあるゆえにしていることですねえ、極論ですが、『後世に伝えたい自分の感動』その意欲が薄れて、ただ単に、今生活したり贅沢したりするお金がほしいだけになってきたら、掲示板の言葉でゆう低俗な作品になっていくわけですねえ、
しかしながら、楽曲を制作する人の心は、お~お~にして演奏する人より、さらにデリケートなプラスアルファを持っているものです、ぼくは個人的には、その、掲示板の言葉でゆう低俗作品とは、より時代の一般大衆にわかり易い、受け入れ易い、すなわちキャッチーな要素を踏まえたうえで、その一般大衆に伝えたい楽曲制作者本人の重要な想いがあるのだと信じたいです。



  • [624]
  • 世の中には2種類の人間がいると思うのです。

  • 投稿者:tachinon
  • 投稿日:2016年 4月 8日(金)13時39分26秒
 
私は、いわゆるスポーツをする人でも、やる人でもありませんが、何かで読んだ「ゴルフを見る人たちが、他のスポーツを見る人たちと違うのは、『見る人=やる人』だということ」をとても興味深く思います。
年に一位、自分でカヌーのイベントにでて、一緒にこぐことはあります。だから、TVでNHKカップ スラロームの中継なんかがあると、それなりに見て、「あーあそこ上手いなぁ・・」なんて思いながら見ますが、・・・真似するまでには至りません。 でも、TVでそれを見るときは、やっぱり、「教科書」「お手本」として見る傾向はありますね。

で、音楽も、聞くだけの人、と「自分でしたいと思う」人の2種類に(大雑把に)分けられるのではないでしょうか。
言葉を替えると、「自分もステージに立つ」(立ちたいと望む)人と、客席から見てる人・・・という具合に
「自分でステージに立ちたい」人は、必ずしも「スター」あるいは、「リードボーカル」でなくても良いんですよね。
バックコーラスのお姉ちゃんでもいいし、ベースでも、ドラムでも良いですよね。
もしかすると、エンジニア(というんでしょうか?)でもよいし、照明技術者でもいいんですよね。
とにかく、舞台側にいる人になりたい。舞台側でいろんなことをしてみたい人と、客席側にいたい人と、2種類いる訳で・・・・

で、スポーツでは、客席にいる人でも、音楽では舞台側の人かもしれないし、演劇ではまた別かもしれない。
まぁ、どちらが良いとも言えないし、・・・批評家も必要だし、研究者も必要だし、、客席が埋まらなければ、舞台も維持できない。

そう考えると、「好み」の一言で言切ってもいいのかもしれませんね。

ただ、何かのきっかけで「目覚める」ことがあるかもしれませんね。

答えになってませんね。

私は、フルート吹いていおねぇーちゃんとか、バックコーラスのおねぇちゃんとか・・そっちについつい目が行ってしまいます。


  • [623]
  • 鑑賞するより自分で演奏するのが楽しいのはなぜ?

  • 投稿者:讃岐アコ吉
  • 投稿日:2016年 4月 8日(金)11時12分30秒
 
とりあえず、このスレッドで質問させていただきます。

友人に大の音楽ファンがいます。現役時代にはよく一緒にコンサートに行ったりしました。

でも彼は歌ったり楽器を弾いたりは全くしません。そして彼が言うには

「CDで名演奏家の名演がいつでも聴けるのに素人が自分で下手な演奏を

してもつまらんつまらん」冗談半分にからかうのです。

私はCDで名演奏を鑑賞すれば素晴らしいと思って感動しますがそれ以上に

下手でも自分で楽器を弾くほうが、はるかに面白いし楽しいです。

なぜ楽しくて面白く感じるのかを、うまく説明して彼に納得させたいのですが

いい言葉が思いうかびません。

単にそう感じるからとか本能的なものだろうと言うのでは物足りないと思います。

彼がゴルフをやるのであれば、「テレビでプロゴルフを見るより自分でやるほうが楽しいのとおなじだよ」

と言えるのですが、彼は音楽鑑賞以外には全く趣味がありません。

鑑賞よりも自分で演奏するほうが、より楽しいのは何故かをうまく説明したいのでが・・・

なにかいい言葉はないでしょうか?

本当にしょうもない質問ですが知恵を貸してください。

  • [622]
  • おぼろ月夜のビデオに感謝

  • 投稿者:讃岐アコ吉
  • 投稿日:2016年 4月 6日(水)22時40分29秒
 
オカルト2号さまの楽譜に基づく「おぼろ月夜」ベーシック版の演奏に

大感謝です。これならバイエル級の私にとっても最上のお手本です。

ただし、素晴らしい前奏・間奏は真似できそうにありませんが。

こんなに素敵な前奏・間奏をいとも簡単に創造されるとは!なんていう才能でしょう!!

そしてバージョンアップ版の素晴らしい演奏、私にはただただ鑑賞させていただくのみです。

オカルト兄妹様ほんとうにありがとうございました。

  • [621]
  • ごめんなさい

  • 投稿者:オカルトマニア2号
  • 投稿日:2016年 4月 6日(水)19時58分34秒
 
言葉が他にありません・・。
兄さんに不快な思いをさせてしまったみたいで・・・


さらにまた、ちがった演奏を聞かせて頂き、本当にありがとうございます。

  • [620]
  • 申し訳ございませんでした。

  • 投稿者:オカルトマニア1号
  • 投稿日:2016年 4月 6日(水)06時36分32秒
 
歌詞の意味を、より深く正確に理解して、年老いたかたがたのそれぞれの歴史、ご自身の人生を重ねて、心動かされるために、誠心誠意を尽くして音楽するオカルト妹の絶え間ない努力を否定するつもりなんてまったくなかったんやけど、

・・・この件は、以前、田代さんが積極的に投稿してくれてる時代にフィーヴァーした論議で、たとえば、吉永さんとかtachinonさん、ぜんさんやったらおぼえてるかなあ?

つまり要約すると、歌詞の意味を深く理解することと、音そのものを理解して、感動に値する音楽演奏として具現化することは別もん。

早い話が、歌詞や、楽曲誕生の歴史背景を理解することはまずそれ。。でも、出てくる音、出す音、歌の音の響き、そういった、具体的な音楽演奏要素をまっとうすることと、楽曲誕生の歴史背景の理解していることが、必ずしも一致しない件。
もっと単刀直入にゆうと、
いかに歌の伝えたい意味を理解していたとしても、人に演奏するためには、それとは関係ないといっても言い過ぎではない、出てくる音、出す音、歌の音の響きをより厳密に捉えて、表現しようとする努力や練習が必要であることが、絶対大事であることについての論議ね、

そんなこんなをかんがえとってき~がついたんやけど、たとえばのはなしこの掲示板でも、ぼく以外誰もしてない書き方やんかあ、発音したときの音そのものを重視してぶんしょつくってるんは。つまりその、文章とは、書かない、当然とも書かないで、と~ぜんって書いたり、

あたりまえなんやろうけど、日本に住んでる日本人は、日本語は、漢字熟語もすごく大事で、つまりそれは漢字のおのおのの持ってる意味がすごく大事なんよねえ?

おおかた人生の半分、ローマで暮らしてきたぼくはね、日常のコムニケイションの手段、つまりみんなとの共通語が、日本語ではない、つまり、漢字や熟語がない、外来語もあわせてやっと26文字しかないアルファベータの組み合わせの言葉で暮らしてるから、日本語の漢字熟語の意味の探求や美しさの理解を求める習慣がなくなってしもて、

そうとちがう単に言葉の響きに対する感覚が敏感になってきて、、、つまり逆にゆうと、日本の歌に対するその日本語歌詞の言葉の響きに対する感覚は、日本に住む日本人よりはるかに敏感で、そういう、違う音の観点からみいだして、自分の演奏をしようとする面が、多くの、日本の日本人とはちがうんやとおもう。

これは先ほど録画したヴァージョンアップ版朧月夜。きのうの録画のよりまだもっと弾ける人の参考になるためのサンプル演奏です。右手音色切り替えや和音演奏も増やして先日のオカルト妹の作ってくれた譜面をいっそう反映させたようになってます。
https://youtu.be/wMVDHehn3lA


  • [619]
  • 演奏ありがとうございます

  • 投稿者:オカルトマニア2号
  • 投稿日:2016年 4月 6日(水)04時31分41秒
 
右手はメロディ1本でも、ベースラインを伸ばしたり、伴奏のパターンを変えることで音楽を膨らませることができますね・・。

いろんな演奏法が出来るよう、頑張ってみます。


ところで、歌詞の意味ですが、日本の童謡・唱歌に関しては、私は、

ご自身の健康維持のために音楽を、歌を楽しもうと、集まってくださる高齢者の方々のために

その歌を、歌詞を探究しお話させて頂く事、続けていきます。

皆さん、とても熱心に聞いて下さいます。歌に纏わる発言もとても多いです。

私の目の前の方々は、日本の童謡・唱歌には 音楽を感じて心動くんじゃない、

日本の言葉、歌詞に、情景を、季節を、歴史を、自分の人生を重ねて、心動かされるのだと思っています。そうすることで、表情が変わり、

歌声が変わります。

ただ、ひたすら懐メロをたくさん歌いに通われる歌声喫茶の常連さん達とはちがいます。

勿論、歌を理解することだけでいいと思ってない。

私は日本の童謡・唱歌では、アコーディオン伴奏することで、音楽を心に感じてもらいたいんじゃないです。一番に気持ちよくうたってもらうため。

そして、歌詞から、様々な思いを、感情を、自分の人生を感じて歌ってもらう、その手助けがしたくて、より深く感じてもらうために

少しでもいい演奏をしたいと思う。


それで、皆さん興味ないでしょうけど・・・

「朧月夜」で歌う月とは西の空に細くかかる三日月であったようです。1番の歌詞にある「夕月」とは3月から4月頃にかかる

夕方の「三日月」を表すそうです。

そして「にほひ淡し」とは「源氏物語」や「百人一首」でもあったように「香り」を意味するのではなく「見た目の色の美しさ」を表す表現であったようです。

最後にひとつだけ

「ずいずいずっころばし」は無意味ではありません。子供の頃の手遊びは意味なんて必要と思いません。

どうでもよかった。

昔、宇治から江戸に向かう「お茶壺道中(5~6月、新茶を将軍に献上する行列)の一行が通る時、庶民たちは

子どもたちが粗相をして切られてしまうことのない様、みんな戸をぴしゃんと閉めて家に隠れていた。

大名行列も同じ。子どもに注意するために作られた歌だといいます。息をひそめて隠れていると、ネズミが米俵を食べる音、

井戸ではあわてた拍子にお茶碗を欠く音まで聞こえるというもの・・。

歌詞の話はもうおしまい。

  • [618]
  • おおよその人たちは、そこまで深く厳密には歌詞を探求することはないんちゃうん?

  • 投稿者:ビデオマニア
  • 投稿日:2016年 4月 5日(火)17時25分12秒
 
ぶっちゃけたはなし、たとえばカゴメカゴメよかずいずいずっころばしとかなんて、完全に歌詞内容意味不明やし、よおするに、満月か?、三日月か?、想像したり疑問に思いながら歌うこた~ないやろおし。・・・あ、ごめんすくなくともぼくはかんがえませんでした。

そこまで深く探求せずとも、歌を楽しむことができるから、アコーディオン演奏して楽しむんやったらそれでええやんとかゆうたら、問題??

その、なんちゅうか、歌詞の意味の理解や探求、論理性の追及、そういうことに、ぼくは、あんまし、歌の美しさを感じることが出来るデリケートさがないなあ。

確かに、老人相手に、そういう、曲の歌詞の根源説明したげたら、喜ぶ人おおいやろなあ、でも、
重度の知的発達障害あるひとにとったら、おおよそ意味なんかど~でもええ世界なんかもしらんし。

たとえば、この朧月夜やったら、ぼくは
霞ふかし
匂いあわし
春風そよ吹く
あるいは、もうその、おぼろってゆうことばだけで
そういう音とゆうか、発音の響きだけで、美しさを感じる。

『アコーディオンは、ひとつ押さえるだけでいろんなオクターヴ違いの音がでるから、
ぶんちゃっちゃとメロディー1本だけで、重厚な演奏になるんちゃうん?』
・・・・てゆうたら問題ある????

一番最初の讃岐の光源氏氏の問題提起内容だった、『休符』ね、これは、すっごくだ維持だと思う、つまりね、当然自分が出してるアコーディオンの音、よく聞きながら音を出すことが大事なんやけど、それとまったく同様に音が出ていない休符をものすごくよく聞きながら次と音を出すまで待つことが、大事だよ。

ほんでまあ、相変わらず、何がゆいたいんかぜんぜんわからん録画やけど、メロディー1本だけでやってみたよ。演奏開始前にうまいこといかんで録画中断20回くらいしてたから、次回のときは、なんとしても台本つくりたいとおもいます。
https://youtu.be/lvazyRp8clw


  • [617]
  • おぼろ月夜の月

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2016年 4月 5日(火)09時12分31秒
 
は、東からのぼる満月か、どうか。 ぼくのイメージでは、夕暮れがせまり、まだ、山の稜線がうっすらとみえるたそがれ時、まだ、空が闇ではなく、群青色のとき、東のほうから、春霞をとおして、昇ってくる月もぼんやりとおぼろげに見える、というふうに感じます。 作者は西の空に沈みゆく太陽を凝視しているというよりは、山の稜線さえもぼんやりとしかみえない、あたりを包み込むまだ明るい空の春霞の中に、ぼんやりとした月がのぼってきている情景を歌っているものという感じを受けます。
おそらく、空気はもう肌を切るような冷たさも無く、木々・草木は若芽をだしつつあり、土のにおいも甘く感じられることのことだろう。 菜の花が咲いているということは、桜の花も咲いていてもおかしくはない。 その、菜の花畑のにおいが春霞の空気を甘く満たしていたに違いない。
まさに、「にほひ淡し」とあるのは、月がわずかに匂っているのではなく、菜の花畑の菜の花のじゅうたんからの甘い香りが、ほのかに香ってきていたということだろう。

春霞というものは北からの、あるいは、冬の冷たい空気に南からの湿気をおびた空気が流れ込んで、空気中の水分が飽和状態となり、空気中で結露する現象で、なおかつ、その南からの空気は、春一番のような強烈な突風ではなく、やわらかくやさしい太平洋高気圧が南からゆっくりと北上するときに発生するものだと思います。 専門的に言うと違うかもしれませんが。。。
だから、確実に春に向かっている状況であることは間違いない。 早春賦がちょっと北の高気圧に太平洋高気圧が南に押しやられた状況とすれば、おぼろ月夜は、南の太平洋高気圧が冬将軍を北に追いやるようにゆっくりと北上している状況の歌ではないだろうか。

おそらく、里では桜ももうすぐ満開を迎えるという時期であったでしょう。 桜がさけば、春の嵐が来るから、かすみは桜の花びらと一緒にぶっ飛んでしまう。



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