<思いやりのあるコミュニティ宣言>
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  • [217]
  • 海外経験

  • 投稿者:川井 浩
  • 投稿日:2020年 9月 6日(日)07時42分42秒
 
私の場合は、22歳になって初めて海外を経験したのですが、その衝撃というか、影響は非常に大きかったと思います。
今は、テレビもインターネットもあるので、昔に比べると得られる情報量が、特に当時に比べると、圧倒的に多いように思われますが、日本の中の、自分の身の回りの情報と当時の新聞・テレビからの情報だけでは、なんとも形容のしようがない一方的に作られていく自分というようなものを漠然と感じていたようなことさえ気が付かずにいたように思います。
全く別の判断基準、価値観の違があり、その背景となる歴史や地理的な違いがあることに気が付くと、日本の状況というものがある種、特殊なものであったのだ、ということにも、海外に出ると逆に見えてくるという経験をしたことを思い出します。
それまで日本の学校や新聞・テレビなどから与えられる情報から一生懸命に作り上げてきた世界観というか、知識などが、勝手な、あるいは、作られた思い込みに過ぎなかったということを嫌というほど鼻先に突き付けられた気がしたことがありました。
そのような価値観や世界観がどこか自分の体の中というか、頭の中で、音を立てて崩れていくような気がしたことを鮮明に覚えています。
昔から、かわいい子には旅をさせよ、と言います。 いろいろな意味合いを持つ言葉だとは思いますが、旅をするということは、ほかの国を見ること、ほかの国の人たちの暮らし、地理、歴史、背景を知ることだ、と理解すると、その意味もさらに深まる気もします。
違いが分かれば、さらにその違いに対する興味も沸くし、一方的な極端な方向性のある情報や、情報操作にも耐えられる体力というか、判断力が付くようになると思います。
その意味で、未だに、マスコミを含む一方的な情報操作に操られてしまう人々、おかしな宗教や占いにのめりこんでしまう人々、はては、オレオレ詐欺に簡単に引っかかってしまう人々が多いのは、まぁ、日本に限ったことでは無いとも言えますが、自分なりのしっかりとした判断力が欠如している、大衆操作されやすい状況にあるひとが多いということではないかという印象をもってしまいます。

まぁ、海外に行けばすべての人が開眼する、ないしは、新しい考えを持つということではない、ということも海外にでるとよくわかりました。
あるとき、1969年に青少年海外交換のグループのメンバーとして多くの同年代の若人と訪独したのですが、そこで、日本の価値観の防御に入ってしまう人たちがかなり多くいたことに驚きました。 海外に来てその国の価値観や、生活、考え方を否定して、いかに日本の生活や考え方が良いか、ということを日本人同士で集まって、価値観を共有することで安心感を得ようとする人たちでした。 1976年から1985年までたまたま日本企業の集まるドイツのDuesseldorfで仕事をする機会があり、多くの日本人がいましたが、やはり、かなりの割合の日本人が日本人同士だけの付き合いをし、現地の人たちとの付き合いのない人が非常に多くいました。 それも、何年たっても、ドイツ語を覚えようともせず、近所付き合いもせず、もっぱら日本人同士の付き合いに終始している人のなんと多かったことか、いまさらのように思い出されます。 どうも、単に海外に行けば価値観が変わる、とも簡単には言えない部分もありますね。 それぞれの人の考え方や性質、などにもよるのかもしれません。
もちろん、日本の文化が低いとかそういうことを言っているのではなく、それは、逆に、日本の文化を改めて、評価というかありがたいものとしてさらに世界に向けて発信できるベースにもなっていることで、違いが分かれば、違いを説明できるということだな、と思います。 あー、海外経験あるある談義になってしまいました。

たまには、いいでしょ。