teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助
    
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


抗がん剤:適合したようです。

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 9月22日(土)08時02分25秒
  思ったよりスムースに進んで、日々、好転していることがわかります。
副作用がほとんど見られません。

前向きに、明日に希望が持てそうな予感です。
 
 

仮面投稿を止めなさい

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 9月22日(土)07時59分12秒
  2009年の私からの返事がきにいらないご様子。
もうお止めなさい。
 

因果応報

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2018年 9月21日(金)02時05分3秒
  何歳だろうか??? 投稿者:管理人  投稿日:2009年12月24日(木)11時44分21秒

<どおも。 大乗嫌いの硝煙です。w
  どうも。 m(_ _)m  武器の嫌いな苦縁讃です。
  好き・嫌いは、お互いに自由です。
  しかし、その前に・・・、どの程度理解できたか?は別問題かと、少し思います。

  あなた様は、まだ、お若いのでしょうか? ??
  若さを大切になさいませ。やる気は大いに結構! (^_^)v

<皆さんのように博識となり、そして真理について語りたい、と思っていますが、なかなか進みませんで。
<で いろいろ質問させていただいているわけです。
  ご自由にやって下さいませ。
  心の中の武器を捨てると、きっと、進むと思いますよ。
  小生、火薬の臭いは・・・、どうも、・・・好きではありません。
  質問の相手は、他にお求め下さいませ。

<経典の系列が知りたいんですが、参考になるサイトなどございますでしょうか。 無いなら私が造りたいと思っております。

  ご自由におやり下さい。 やって下さい。
  その自信、本物ならば大いに喜ばしい。

<ところで、苦縁讃さんは クエン酸 のもじりでしょうか???
  ご想像にお任せしますよ。  !(^^)!
               敬拝。
 

母の葬儀:参加不可能

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 9月20日(木)15時10分43秒
  抗がん剤の点滴治療第一回目を終え、病室の戻りましたら、妻からメールが着ておりました。
「母親の死亡の知らせ」でした。
 母親の魂は、抗がん剤と一緒になって小生の体内に入った・・・・!
 ような心持になりました。
 **************
 有縁の方々のお陰で、今頃葬儀と初七日の度胸が済んだ頃。享年96歳の人生。ご苦労様でした。
 **************
 私の方は、どうやら抗がん剤の副作用が現れておりません。
 いのちのあるまでは、感謝して、生きることに専念。
 **************
 山辺習学氏他 「教行信証 講義」読んで希望を得ています。 合掌
 

入院加療中です

 投稿者:管理人  投稿日:2018年 9月14日(金)08時07分52秒
  もう一ヶ月になろうかと思います。
入院してます。
咳が出て苦しかったので、近くの総合病院に行きました。
呼吸器科にてX線写真、そしてMRI検査。
8月16日でした。そのまま入院して、今に至っています。
抗生物質の点滴を継続しながら、検査が続きました。
看護師さん、医師そしてスタッフの皆様に感謝しながら
もう、かれこれ一ヶ月になります。
 ******
1) 左肺の腺癌、stageー3 (8月23日の段階で左肺全体に拡張)
2) 大腸の動脈瘤 径62mm
3) 第四腰椎 圧迫骨折(癌の転移:断定できず)
 ******
想えば、
 ○ もう、ゴールにしても良い年齢です。
 ○ 親族たちは、可能な限り加療して、生きながらえることを期待しています。
 ○ 95歳の母親は、施設のお世話になって、必死で生き抜こうとしています。
いのちの倫理と申しますか・・・
 藁にすがり付いてでも、「一刻でも長生きしよう!」と、
 最後まで懸命に・・・。
 ・・・が、自然なのでしょうね?!
 ********
 そこで、化学療法を選択しました。
  妻子も兄弟たちも、納得しました。
 *****************
 入院加療中に、母親が他界しそうですが、お見送りは家族に任せるしかない。
 もっぱらベッドにて読書。
 今、パスカルの「パンセ」
   ・・・では、近況のご報告まで。  拝


 

ニーチェの思想「ニヒリズム」の意味するところ。

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2018年 5月15日(火)10時26分51秒
  西洋哲学には実は余り関心がなかったが、周りが余りにもAmericanizeされてしまっています。アメリカありきの政治。
 戦後、また、足下はふらついたままです。 『忖度』は、公務員の正義感喪失のあらわれ ・・ 哉
 政治的正義、公務員の正義、教育の正義、宗教者の正義・・・・。これらは消えていきそうです。国会の審議を見ていても、
責任の所在がない。 無い ! 無い !! 見えない ! Nicht!!  ニーチェの思想は大変預言的であった。
 仏教思想にも深い理解があった事が分かった。 (後の、ハイデガーも同様であった。)
地域社会に
目覚めようよ!。。。と、古い中国や日本の思想家を持ち出しても耳を傾けてくれそうもない。そこで、西洋の哲学を参考に
したくなったのである。
*********************************
1 「ニヒリズムとはなにを意味するのか。-最高の諸価値が無価値になると言うこと。  目標が欠いている。
『何ゆえに』と言うといへの答えが欠けていることである」(Ⅷ2,9-35)  『何ゆえに』という問いかけ自体、これまでの
習慣によるものである。  これまでの習慣に拠れば、超人間的な権威によって、目標は建てられ、要求されているように思われた-。
2 この権威を信じることを止めた後でも、なお世間の人は、古くからの習慣によって別の権威を求める。   この別の権威も、
無条件に目標や課題を命令する。  今や、良心の権威が、あるいは理性の権威が、あるいは社会的本能が、あるいは内在的
精神を備えた歴史学が、第一線へと乗り出してくる。   『世間の人は、意志を、ある目標を意欲することを、自分自身に
目標を与えるという冒険を回避したがっているのである』」〔Ⅷ2,9-43)
3 初期のギリシャの自然哲学においては、人間と自然は親密な関係にあって、汎自然的な調和的な世界観があった。(現状の日本的な?)
けれどもプラトンになって、生成変化する自然の彼岸に、永遠のイデア界を想定するようになった。キリスト教も教父の神学以来、
そのプラトン主義に影響されて、肉と霊、この世とあの世、自由と摂理といった二元的な区別をするようになった。
ニーチェによれば、プラトン主義の民衆版であるキリスト教道徳において、生成変化する現世的・感性的な生をひなん、
断罪して、価値あるもの、真理を生の彼岸に対置するようになったのである。(建前的な価値観?!)従って、「キリスト教的、
道徳的な解釈にこそニヒリズムが潜んでいる」のである。
4 それ故に、あらゆる価値の転換の試みがなされなければならない。「あるがままの生存、それは意味もなく、しかも
それでいて不可避に回帰しつつ、無に終わることもない。・『永遠回帰』(魂の不滅も意味する)である。
すなわちニヒリズムの極限的形式、無が永遠に- である。」(Ⅷ1,5-71) (東洋哲学に近い!)
5 それはどういう世界が展望されるか?(『ツァラトゥストラ』より。)「かくあった」を超克して、かくあることを自分は
「かつて欲し」「今も欲し」「将来もほっするだろう」という形で時間との和解を達成し、(”過去はこうであった”という
ことを一端横に置いておいて、”過去・今も・・きっと将来もこうありたい”かどうか?という、時間や時代をも超えて
普遍なものを確保し)和解以上の高次なもの成就することを示唆していた。(救済)
6 このようにして永遠回帰を覚悟して「よし、ならば、もう一度」と生きることを意味する。そして「もう一度」とは
「新たに」であり、「三つの変化」の「小児」のように「新たな小児」のような「創造者」(至福の島々)とならねば
ならぬのである。
 From「哲学・思想を今考える -歴史の中で-」 魚住孝至著 放送大学教育振興会 NHK出版
 

神仏は死んだか 今 !? いま?

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2018年 5月 5日(土)11時49分0秒
  考えさせられるテーマだ。仏教界では、今や『末法の時代』と言う風潮が大方(曹洞宗道元はそれを否定している)である。
法然は、親鸞は、一遍はひたすら称名せよと勧めた。 だが、今、なぜか仏は遠のいていくような不安が拭えきれない。
 末法思想の仏教信者達は、薄れる仏陀の影を探し続けようとしている・・・・・が、僧侶達は実に頼りない。
諦めようともしているようにも思う。 生きるための仏教が弔(とむら)うための呪文・『葬式仏教』でも良いか?!
現状に甘んじているかに見える。 どう生きたら良いのか? の問題が、僧侶達の求めるところではなくなったか
と思う。
        ----------------------
ニーチェも『愉しい学問』第三章108番(森一郎訳)で「新たな戦い -仏陀の死後、なお数百年もの間、ある洞窟に仏陀
の影が映っていたという- 巨大な恐るべき影が。 神は死んだ、だが、ひとの世の常として、おそらく更に何千年もの間、
神の影の映ずる洞窟が存在することだろう。-ということは、われわれは- われわれは、神の影にすら打ち勝たねばなら
ないのだ。」
で『ツァラトゥストラはこう言った』で神は死んだと訴えた。 超人を目指せと訴えた。
 多くの戦や揉め事の末の大量虐殺は、神を畏れない・・・神不在の証ではなかろうか? 真の神・仏が不在となったとき、
われわれは我々自身で生き方・いたわり方を創造しなくてはならないのではなかろうか? 急務ではなかろうか。
 今、我々は危機に在る。 ・・・とおもう。
   ****************** *******************
「現代の危機と哲学」  森一郎 放送大学教育振興会 NHK出版 より抜粋
  ニーチェは『ツァラトゥストラはこう言った』でも、主人公に「神は死んだ」と語らせている。特に第四部では、神は同情
ゆえに死んだと、される。
 だが、同情道徳を生み出した近代という大枠そのものこそ、「神の死」によってテーマとされた問題現象にほかならない。
                      ****************
  現代という時代は、十七世紀に本格的に始動してから、まだ四百年しか経っていない。だが、それが人類史的に見て異例の
時代となりつつあることは、誰の眼にも明らかになっている。その兆候らしきものとして、いつまでも「近代・現代」つま
り「新しい時代 the modern age」を自称し続けていることが挙げられよう。四百年を過ぎてもなお「新しさmodernity」
を売り物にし続けている時代は、かつてなかった。新しさを本領とし、それ以前の時代を乗り越えることを不断の課題とする
時代が、これまで地上に存在しただろうか。この課題がいまだ途上であり続けるかぎり、モダンの時代は続くことだろう。
 一時(いっとき)「ポストモダン」なる言い方が流行った時期が合ったが、それもまた「モダン」路線以外のなにもの
でもなかったことが判明して久しい。
 われわれ「現代人」の住んでいる「新時代」は、そのように人類史上極めて異例で特殊なのだが、その特殊性のゆえんは、
この時代がそれでいて、圧倒的な普遍性を誇り、それを貫徹しようとする点にある。それはさしあたり「地球的global」と
称されもするが、それすら超え出る、まさに「宇宙的universal」と呼ぶにふさわしい、広大無辺な無差別的普遍性である。
 そこでは「局地的local」な特殊性は根こそぎ無意味化していく。
  全宇宙的普遍性を持つ無差別均質空間には、神にふさわしい居場所はどこにも存在しない。「男らしい」も「女らしい」も、
いや下手をすると「人間らしい」すら禁句となるような平等空間のどこに「神々しい」場所がありうるだろうか。 狂人は、
神はどこだ ?と最初探し回ったが、見つけるのをやめた。それはそうだろう。無限に広がる無差別宇宙に、「神的なもの」
の落ち着ける聖域など、どこにもありはしないのだから。近代的宇宙像に神を語る余地はもはや存在しない。
  もちろん、ファンタジーや名臣といったものを人間が必要とするかぎり、神についてのお喋りは決してなくならないだろう。
 だが、萬有を学問的に説明する上での原理として「神」をもちだすことは、とっくに出来なくなっている。そんなことは
当然だとわれわれは思うが、かつては決してそうではなかった。
  デカルトの第一哲学では、大原則として呼び出された。それに続いてニュートンが唱えた自然哲学の数学的書原理でも、
神はれっきとした中枢の座を占めていた。スピノザもライプニッツもロックも、皆哲学的文脈の中で神について滔々(とうとう)
と語っている。だが、それと異なるタイプの、神なしで済ます「新しい哲学」が、ホップスを嚆矢(こうし)としてぞくぞく
と現れ、神についての哲学的議論を駆逐していくのが、新しい近代の哲学史の主流なのである。カントもその流れに棹差して
いる。ヘーゲルは神を原理的に論じようとした最後の哲学者と云ってよいが、同時に、歴史を哲学の中心テーマに捉え置いた
最初の哲学者であった。
 

ご迷惑を・・

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2018年 4月 5日(木)14時29分8秒
   先月の中旬から、私のホームページサーバーの転居を開始しています。
 123ページほど有りますので、ちまちまと修理していますと、至らないところばかりです。
 お見苦しいですが、どうかご寛恕下さいマセ。

 もう20年経ちました。ホームページを編集し始めてからです。
 データが当時のまんまですが、私もその間に心も変わっています。
 進歩成長したいと望んでいます。 死ぬ瞬間まで成長!! したいものです。

 再編集・再構築したいとは思いません。
 このまんま内容と資料を加減するに留めるつもりです。
     ****************
 私が歩んだ心の遍歴のようなものです。
 しかし、私自身に言葉は大してありません。
 この世の中には、素晴らしいヒトが一杯いましす。
  私の拙い言葉を書く以前に、先人達の書簡をご紹介した方が読み易いに違いない・・・と。
  宇宙論や天体観測の資料など科学の進歩は誠にスピードアップしております。
  ただ、人はどう在るべきかは・・・。
   永遠の課題です。
  どうか、今後共にご訪問下さいますよう心よりお願い申し上げます。
    Welcome to My Home-page.
 

日本の心の支柱・背骨は

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2018年 2月13日(火)08時28分53秒
  明治維新で神仏分離が行われた。・・・と言うことについて。      功か? 罪か?
                         **********
 明治政府が維新早々に打ち出した宗教政策は、「廃仏毀釈令」ではなく、「神仏分離令」だった
”寺破壊して仏教を捨てよ」”との命令ではなかった。革命政権である維新の明治政府は天皇を支柱と
する国民国家を目指した。その支柱たる天皇の絶対に侵されるべきでない存在意義を、皇室の宗廟た
る伊勢神宮を最高にした神道に求めた。そのため、明治維新政府は国教をそれまでの仏教より神道に
変えることにした。
 江戸時代まで仏教と神道は神仏習合・神仏混淆(しんぶつこんこう)で、どちらが上かといえば仏
教(寺)だった。神社の中にお寺が存在した。革命政権である維新の明治政府は天皇を支柱とする国民
国家を目指し、その支柱たる天皇絶対に侵されるべきではない存在意義を皇室の宗廟たる伊勢神宮を
最高にした神道に求めた。
                     *****************************
 仏教伝来以来、神道(しんとう)は1000年余にわたって徐々に仏教と習合し、長らく神仏習合(神仏
混淆(こんこう)の時代が続いた。近世になると儒学や国学の排仏思想によって、神道から仏教色を排除
する動きが出現し、水戸藩(茨城県)や岡山藩、会津藩(福島県)で地域的な神仏分離が行われた。
この排仏意識は幕末に至っていっそう強まり、水戸藩や薩摩(さつま)藩(鹿児島県)では過激な寺院
整理が行われた。また石見(いわみ)国(島根県)津和野(つわの)藩でも最後の藩主亀井茲監(これみ)
によって独自の神社・寺院改革が行われ、維新政府の宗教政策の青写真となった。
 維新政府は神祇官(じんぎかん)を再興して祭政一致の制度を実現しようと、この津和野藩藩主亀井茲
監や福羽美静(ふくばびせい)、大国隆正(おおくにたかまさ)を登用し、最初の宗教政策ともいえる神仏
分離を全国的に展開させた。まず1868年(慶応4)3月17日、神祇事務局は、諸国神社に仕える僧形(そう
ぎょう)の別当(べっとう)・社僧に復飾(還俗(げんぞく))を命じ、ついで28日太政官(だじょうかん)
は神仏分離令(神仏判然令)を発して、 (1)権現(ごんげん)などの仏語を神号とする神社の調査、
(2)仏像を神体とすることの禁止、を全国に布告した。これ以後全国の神仏混淆神社から仏教色がすべ
て排除されるが、近江(おうみ)(滋賀県)日吉(ひえ)山王社のように過激な神仏分離が多発したので、
太政官は同年4月10日には、神仏分離の実施には慎重を期すよう命じた。しかし、政府の威令がいまだ
行き届かず、苗木(なえぎ)藩(岐阜県)や富山藩などの各藩や政府直轄地では、地方官がこれを無視し
て強硬な抑圧・廃仏策を進めたため、寺院の統廃合など神仏分離を超えた廃仏棄釈(きしゃく)とよばれ
る事態が1874年(明治7)ごろまで続いた。[阪本是丸]
『安丸良夫著『神々の明治維新――神仏分離と廃仏毀釈』(岩波新書)
                             日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より
 

明るい年を迎えたいですね。

 投稿者:管理人:苦縁讃  投稿日:2017年12月29日(金)08時39分17秒
  今年ももう残りわずかです。 明るい年を迎えたいですね。

      ***********

現実を引き受けたところにしか真実はない。  中村久子

         ******************

身を愛し、意を快くして非常(無常)を観ぜず。
   冥冥(めいめい)として懈怠すること昼夜無し。
    咄(とつ)、起きよ。何ぞ寐(び)を為さん。
           <さぁ !  目覚めよ !!>
           発句譬喩経  教学品第二 より

      ***************

  安穏が人生の目当てではなく
   真実を現すことが 生の第一義諦である。      金子大栄

  人生の意義は、
   自己の使命を発見して
           これを実現することにある。
                             金子大栄
      ******************
 大切なのは
      かつてもなく
       これからでもない
       一呼吸
          一呼吸の 今である
            坂村真民
 

レンタル掲示板
/28